オステオパシー生誕150年

創始アンドリュー・テーラー・スティル

今月の6月22日の誕生日を迎えました、誕生した西暦は1874年なので生誕150年となりました。
オステオパシーを創始アンドリュー・テーラー・スティル(ATスティル)がオステオパシーを創造して頂いた事に感謝します。

今回はこの喜ばしいオステオパシー生誕記念と共に、スティルのオステオパシーの発展のその後に携わった偉大な先生に感謝したいです・・有難うございます。

今回はオステオパシーの創始者のスティルの歴史の一部を紹介します

オステオパシー小史

この喜ばしい150年を祝うにあたり、改めてオステオパシーを創造した、アンドリュー・テーラー・スティル博士のオステオパシーの小史を紹介します

アメリカのカンザス州で1874年6月22日の午前10時に、スティルは健康の自然で統合的な自己治癒の作用を正常化する法則と方法を直感的に閃きました、この日をオステオパシーの誕生日としました。
スティルはオステオパシーをベーカー大学で発表しようとしましたが同僚の医師に拒まれ、アロパシーに落胆し、カンザス州から隣のミズーリ州のカークビルに移りよりオステオパシーを成熟させ熟達させます。

1880年〜1890年には彼の高いオステオパシーの効果から、名声が高まりカークスビルに金持ちの富豪が施術を求めて集まる様になり、カークスビルに臨時の汽車や宿泊施設が設けられ繁栄した。

1891年にスティルはオステオパシーを教えてほしいとの要望から、オステオパシーを教え始めたがオステオパシーの専門家と言えるほどの水準には育たず、彼は正当なオステオパシーを残すためには専門のキチンとした学校教育が必要と考えた。

1892年11月2日にオステオパシーの最初の学校、アメリカン・スクール・オブ・オステオパシーが開校しそこからオステオパシーの専門教育が始まりました。

1893年にアイオワ州ダベンポートから来たマグネティック・ヒーラーのDDパーマーがオステオパシーを受けに来ました。そしてオステオパシーに遭遇した21年後にパーマーはカイロプラクティックを旗揚げしました。

そしてスティルは1917年に亡くなります。この同じ年にイギリスにオステオパシーの学校が設立されます。

その後、世界のオステオパシー教育はこのアメリカやイギリスのオステオパシーを中心に、欧州やオセアニアに広く伝播し現在は欧米を中心にアジアにも世界中に広く伝わりました。

1898年 オステオパシー療養所

スティル先生と引き継いだオステオパスに感謝

オステオパシーを創始したATスティル先生を含め、その後のオステオパシーの発展に貢献した今は亡きアメリカの先達の先生方を讃えます。一部の功労者を以下に紹介します。

オステオパシーの発展に尽力した偉大なるオステオパスと科学者

スティーブン・マーティン・リトルジョンDO &MD
古典的オステオパシーを重んじ、本格的な生理学を導入したヨーロッパに初めてのオステオパシー学校を作る。

ウィリアム・ガーナー・サザーランドDO
頭蓋領域にオステオパシー哲学を応用し、頭蓋オステオパシーに貢献した。また1次呼吸メカニズムを説いた。また筋骨格系のオステオパシーマニピュレーション、靭帯性関節ストレイン/靭帯張力バランスを伝えた。

ハロルド・フーバーDO
ニューイングランドで、関節機能障害を小さく動かし、張力が均衡になるポイントに誇張する機能テクニックを発表した。筋骨格系領域のオステオパシーに貢献した。

フレッド・ミッチェルDO
TJルディーの抵抗導入をヒントに、矯正ポジションから受ける側に適度な等尺性収縮の筋収縮を指導し行わせ、筋に起こる物理的・神経学的作用を用いるマッスル・エネルギー・テクニックを想像し、筋骨格系領域のオステオパシーに貢献した。

ローレンス・ヒュー・ジョーンズDO
痛みのポディションや動きと、相反する楽なポディションと動きと相関性のある圧痛を基礎に、科学者アービン・コーPhdの仮説を紐付けカウンターストレインを創造し、筋骨格系のオステオパシーに貢献した。

JSデンスローDOとアービン・コーPh-D
JSデンスローDOはオステオパスで、初めて近代科学的手法でオステオパシー機能障害の研究を行った。アービン・コーPh-Dは生理学者で、細胞生理学の博士号を取った彼は、JSデンズローDOと共にオステオパシー機能障害の科学研究に貢献した。この2人はオステオパシー施術対象となるオステオパシー機能障害の解明に大きく貢献した

世界のオステオパスに感謝

もちろん今も存命のオステオパシーの先生や、アメリカ以外のフランスやイギリスのオステオパシーの偉大なオステオパシーの先生の功績も会って、今のオステオパシーがあります。
内臓領域のオステオパシーに貢献したジャン・ピェール・バラルDOも、フランスのオステオパシーの重鎮の1人です、バラル先生は私たちをフランスのアンドリュー・テーラー・スティル・アカデミィの、前学長のジャン・ランブルーDOに紹介もして頂きました。ありがとう御座います。

ジャン・ランブルー学長はフランスのオステオパシーを国に認めさせる働きを担った、オステオパスの功労者の重要人物の1人です。そして現在この学校を継いだ、イワン・ポポフ先生とビニャペリ先生に引き継がれ学校教育が営まれこの教育が我々にもたらされています。重ねてありがたい事です。

現在は世界の各国でオステオパシーが広がり、正当なオステオパシーを伝える仲間たちがあるのも、スティルが創始したオステオパシーのおかげです。

スティル先生有難う、そして偉大な先達と、今の正当なオステオパシーの普及に貢献する世界の仲間達に感謝です。またスティル・アカデミィ・ジャパンの学校の在学生や卒業生や、仲間の運営陣にもこのオステオパシー生誕150周年の喜びと感謝をお伝えします。